Interview: Neustädter (japan.)

ガイド役はウシー

プロ選手とサッカー以外のテーマで話をする不定期企画、第1弾はロマン・ノイシュテッターと旅について。彼がどのように本誌の『生き別れのふたご』コーナーにリベンジを果たしたのかは、現在発売中の本誌最新号をご覧あれ。

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Vielen Dank für die Übersetzung an:

@uschi_exblog_jp

それではノイシュテッターさん、旅の話をしましょうか。旅が趣味になったきっかけは何ですか?

昔は旅行にほとんど興味がなくて、夏のオフはどこかビーチでゆっくりしたいと思う程度でした。でも奥さんに旅行熱を移されてしまって。それで去 年は中央アメリカと南米をあちこち旅しました。チリ、アルゼンチン、メキシコと。パタゴニアをハイキングして氷河の上に立ったんですが、あれはゾクゾクし ました。

 

ハイキングはご自身で手配するのですか?

ツアーをやっている代理店に頼むこともあれば、現地に住んでいる知り合いに電話をすることもあります。この夏は、インドの慈善団体で活動してい るマヌエル・フリードリヒ(編集部注:マインツ、レヴァークーゼン、ドルトムントなどでプレーした元プロ選手)にコンタクトを取りました。ストリートチル ドレンの世話をしている団体で、そこを訪ねようと思って。マヌエルは「そう思ってくれるのはすばらしい。でもヤバいことになる可能性も覚悟しておけよ」 と。

 

インドのどこですか?

ダラヴィというムンバイのスラムです。スラムと聞くと誰だって抵抗があると思うけど、ダラヴィのスラムには医者も弁護士も住んでいると現地の方たちが言っていました。独自の社会みたいなものですね、例えばレザーの製造といった独自の市場や経済活動があって。

 

現地では何をしたのですか?

"Anstrengung United"という組織がこのスラムの子どもたちのために活動していて、さまざまなコースを企画運営しています。僕らがいたときは、タトゥーアーティス トが来て子どもたちにトレース用の型紙をプレゼントしたりとか。僕らは一緒に絵を描いたり、遊んだりして過ごしました。晩になったら家まで送っていってあ げようと。でもそれはできませんでした。

 

どうしてですか?

15分ほど歩いたら、Anstrengung Unitedのスタッフが「ここまでで結構です、子どもたちにはお迎えが来ますから」と言うんです。子どもたちはどこに住んでいるのかと尋ねると、答えは 「路上」。布を1枚張っただけの下で暮らしている人たちがいるんです。道に横になっている人がいて、その上を人が歩いていて。普段は兄が一緒に来ているけ ど、働かなきゃいけないから来れなかったと僕に言う男の子がいました。するとその子はパンツ姿で道端に座って竹かごを編んでいたのです。6歳ぐらいだった かもしれません。

 

そこで人々はどのように過ごしているのですか?

すごく狭い空間で暮らしていても、お互いを尊重していました。でももちろん世界が違います。今回の訪問だけでも、ドイツで当たり前だと思っていたことの有難みがじゅうぶんわかりました。食べ物しかり、寝る場所しかり、医療しかり。

 

インドでの食事はいかがでしたか?

市場も通りましたよ。そこでは店員さんが動物を殺して路上で血抜きしてグリルに載せていました。目の前で皮を引っ剥がして頭を切り落とす。やっ ぱりちょっと慣れがいるかなと(笑)。でも食べましたよ。ほとんどはフライで、食材が40種類ぐらい一緒くたになっていて。すごく独特でおいしかったで す。

 

電車に乗るのは冒険だと語るムンバイ訪問者は多いですね。

確かに。まだ停車していないのに、飛び降りる人がいるし飛び乗る人もいるし。12時に銀行員のための弁当配達が一斉に到着する駅があるんです (※訳者注:ダッバーワーラー)。配達人がその箱を頭の上に載せて運ぶんだけど、あれが何キロぐらいあるのかは知りたくないですね。バスとタクシーの運転 も結構きてます。恐怖で自分の足が空ブレーキを何回となく踏んでいたほどぶっ飛ばしていました。

 

滞在中にトラブルはありましたか?

バスのところで同乗者を待っていたときに妙な状況が一度あっただけですかね。こちらがヨーロッパの人間だというのはすぐ気付かれるじゃないです か。幼児を抱いた年配の女の人が近付いてきて、お金を恵んでくれと。僕は何かあげようと思って、その人に背を向けてバッグを探りました。すると Anstrengung Unitedのスタッフが「何もあげないでください、大変ですよ」と。振り返ったときには20人もの人が手を伸ばしていました。もし僕が女の人に何かあげ て、他の人にはあげなかったとしたら、状況はエスカレートしていたでしょう。良かれと思ってやっても、それが良くないことを引き起こすかもしれないわけで す。

 

インドにはどのくらいいたのですか?

ムンバイには5日間いました。やってよかったです。こういうことは二度とできないかもしれないから。到着の時点ですでにへとへとに消耗して、半日寝てしまうほどで。印象、色彩、匂い――そのすべてがぐったりするほどたくさんあって強烈でした。

 

ムンバイ訪問後は東京へ。それはまたどうしてですか?

ウシー(編集部注:ノイシュテッターのチームメイト・内田篤人)が「遊びに来いよ、東京はマジぱねえから」といつも言っていて。それで本当に手術直前の2日間で街中を案内してくれたんです。残りの日程は現地のスポーツ用品メーカーで働く僕の友人と行動しました。

 

内田は日本で手術を受けました。クラブは驚いていましたが、ノイシュテッターさんは何かご存知でしたか?

彼の予定については新聞で読んだだけです。日本で本人から教えてもらいましたが、そのことについて突っ込んだ話はしませんでした。

 

内田は日本ではスターであり、ファッション誌の表紙も飾っています。東京では自由に行動できるのですか?

いえ、全然。サングラスをかけていましたが、それでも2メートルごとに人々が口をぽかんと開けて振り返っては「内田だ、内田だ!」とひそひそ 言っていました。それで地下鉄で行こうかとウシーが聞いてきたので、「いいね、そうしよう」と。僕にとって海外での地下鉄というのは最高で最速の移動手段 の一つだし。でもウシーは地下鉄に乗ったことがなかったんです。乗り込むと、すぐに彼の周辺が色めき立ちました。その車両の全乗客がそわそわしながら振り 返るんですよ、ドッキリか何かかと思ってね。本当にすごかったです。

 

東京での意思疎通はどのように?

ウシーが僕らのために通訳してくれました。彼はここだと自分からは話そうとしないこともあるけど、二人きりで出かけるとすごくいっぱいドイツ語 でしゃべるんですよ。で彼の奥さんが隣でジェスチャーを真似する。この二人はほんとおもしろいんです。ホテルに到着すると、ウシーは僕のために前もって ビールを2本冷やしておいてくれていて、冷蔵庫の横にはガイドブックとメッセージを書いたメモが置いてありました。それで後で迎えに来てくれたときに、ホ テルに何も問題はないかと聞いてきたんですね。「さもなくば…」と殴り込みに行く準備をするふりをして。大笑いしました。

 

東京にはどんな印象を受けましたか?

最高でした、絶対もう一度行きたいです。日本の昔ながらの地区を散策していたら、芸者たちが普通に道を歩いていて僕らのそばを通り過ぎていった んですよ。現地の人たちがいかに親切で感じが良く、すべてがいかに清潔で落ち着いているか。これは衝撃でした。あんなにたくさん人が歩いているのに、お互 い小声で話をしている。一人で公園を歩いているんじゃないかと思うほど静かなんです。