ユルゲン・クロップが監督になったとき

”彼らは、君のための銅像を建てるぞ!”

”彼らは、君のための銅像を建てるぞ!”

「ヴォルフガング・フランクが僕らにこの攻撃パターンを叩き込んだんだ。自分にとって、それは初めの一歩だったんだ」とユルゲン・クロップは後になって言った。フランクは90年代半ばにクロップの監督だった - 彼は、クロップにとって熟達した教師だった。クロップが、どんなに頻繁にフォルカー・フィンケやラルフ・ラングニックが優れているかを説明しても、フランクが彼にとって最も重要な影響を与えたことに変わりはない。スポーツ科学の研究者でもある彼は、批判的に物事に意見することも厭わない。「プロのサッカーの世界には、たくさんトレーニングをオーガナイズできる人はいるけれど、監督と呼べる人は本当に少ないね。」

 

年間最優秀監督賞?「そんなのはどうでもいいよ」

クロップは当時から、正確な仕事をしていた - そして、何かについて意味のない議論を始めることは少なかった。キッカーが彼を年間最優秀監督に選ぼうとしていることを知った時、彼は「そんなクソみたいなもの!ビーレフェルトのブリンクマンはEメールを送ってきて、彼らはそのうち君の銅像を建てるぞ、と書いてきたんだ。ねえ、私にとって、そこまでどうでもいいことって、そんなにないんだよ」と言っている。

 

ところで、彼は戦術を教えこむだけではなく、チームの団結を実現した。これも今までの監督にはできなかったことだ。そして、彼は選手個々の能力も成長させた。そのうちの一人がマヌエル・フリードリッヒだ。初めは過度に緊張してしまうセンターバックだったが、後に、誰もが認めるリーダーシップを持った、マインツのセンターバックに成長した。彼が22歳になったばかりの時、当時のマンチェスター・シティの監督であったケヴィン・キーガンがブルッフヴェーク(マインツの練習場の敷地のある通り)のクロップを訪ねて、350万ユーロのオファーを出した。だが、フリードリッヒはマインツに残った。というのも、おそらく、FSVマインツで昇格を果たし、現代サッカーの夢物語を描きたかった、という希望もあったのだろう。

 

「犬のように打ちひしがれたんだ」

ところが、思い描いていたものとは全く違うものになってしまった。最終戦を1-3で敗れてしまったマインツは、結局、4位に落ちてしまったのだ。「本当に酷い数日間だったよ」とキッカーのインタヴューの中でクロップは言った。「私たちは、犬のように打ちひしがれたんだ。」それは、もう二度と来ない、何度も引用されたチャンスだったのだろうか?いやいや。その次の年も全く同じことが起きたのだ。マインツは再び昇格に失敗した。今回は得失点差での4位になってしまった。これが、最後のチャンスか?

 

2004年の夏、ユルゲン・クロップはシュテファン・ラープ(ドイツのコメディアン、テレビ司会者)のテレビ番組に出演した。彼は、相変わらずマインツの監督だった。そして、しばらく見ないほど、彼の調子は良かった。その数時間前には、あるファンが書いた一文がインターネットで出回っていた。「もし、ユルゲンがパン屋を始めたら、マインツのパン屋は店じまいをしてしまったほうがいいだろうね」。ユルゲン・クロップは、ジーンズ生地のジャケットを来て、髪の毛を真ん中から分けて、そこに座っていた。彼は、相変わらず大学の講堂に座っている学生のようで、Sat1の研修生のようで、まるで若い頃のラインホルト・ベックマン(ドイツのテレビ司会者。ARDでのサッカー中継も担当している)のように見えた。しかし、今では、ドイツで最もお呼びがかかる監督になっていた。彼は3日前にマインツ05と共に、ブンデスリーガへの昇格を果たしていた。アイントラハト・トリーアとのリーグ最終戦を3-0で勝ったおかげだ。「我々は昨日、あなたと連絡を取りたかったのですが、あなたはまだ、酔っ払っていましたね」とラープが言うと、クロップは笑いながら答えた。「一昨日はもっと酷かったよ」。これが、偉大なキャリアが始まる前夜である。

 
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テクスト:アンドレアス・ボック(Andreas Bock:11Freunde)

訳:Tatsuro Suzuki

http://www.tatsurosuzuki.com

原文リンク:11Freunde:

http://www.11freunde.de/artikel/als-juergen-klopp-trainer-mainz-wurde